モーニング娘。を卒業された亀井絵里さんへ
8月7日。
亀井さんが卒業を発表した日。
その日俺はチケットを持っていた。
けれど体調が悪く行くことができなかった。
そんな日に、卒業の発表があるなんて。
今でもその日のことを鮮明に覚えている。
マイミクからのお勧めコミュニティのお知らせのメールが届いた。
そこに書かれた文字は「亀井絵里・李純・銭琳卒業企画」
嫌な予感がした。
どう読み間違えても、そう捉えるしかない。
焦ってすぐにクリックをし確認をする。
と同時に電話が鳴った。
同じ絵里ヲタの仲間からだった。
やはり、そういうことだった。
泣き崩れた。
「うそだろ…」と項垂れるしかなかった。
Yahoo!のトップページにも記事が出ていた。
それでも信じられなかった。
というより、信じたくなかった。
ずっと追い続けた亀井さんがいなくなる。
心の大きな支えがいなくなる。
亀井さんはアイドルで、俺はただのファンで。
それが事実ではあるけれど、俺にとってはそんな単純なものではなかったから。
亀井さんの存在は大きすぎて、ただただこの時は絶望した。
それからの日々は、約8年間持病と戦いファンを支え続けてくれた亀井さんのために
一体何が出来るのか、何を返せるのか。
そればかりを考えるようになった。
まるで他の事に手がつかなくなった。
9月になり亀井さんの最後のツアーが始まり、初日の座間公演から全てを行きつづけ
栃木での公演でついに号泣をし、その日の帰り道、俺はツアーを制覇しようと決めた。
まるで時間が足りない、怒涛の様な日々はその日から始まった。
ライブは毎週のようにあり、無い週でも何かしらイベントがあった。
より見やすく、踊りやすく、連番者も納得してもらえるような価格でチケットを確保するために
毎晩オークションにへばりついた。
自分の分だけでもてんてこ舞いなのに、時に誰かのためにチケを探したり、行けなくなったチケを出品し取り引きを代行した。
無理がなく、安く、それでいて仕事に絶対遅刻も早退もしない交通経路を考えたり
交通機関と会場の位置を確認し、場所価格共に納得の出来るビジネスホテルを探したり。
全ての公演にやっつけじゃない、ちゃんとしたファンレターを用意したり。(これが一番時間がかかる(笑))
今までは行っても1ツアーに3会場くらいだった。
フルコンプなんて不慣れもいいところで、どれだけ危うい日々だったか(笑)
北は仙台、南は博多。
高速バスはもちろん、夜行列車にも何度も乗った。
早朝到着し、その足で家に帰らず仕事へ向かったりもした。
小さいスーツケースにオレンジTシャツ等の応援グッズを詰め込み、毎週末転がして過ごした。
卒業まで、亀井さんを一秒でも長く見たかったから。
一秒でも長く、同じ時間を共有したかったから。
亀井さんが頑張る姿を、最後まで見届けたかったらから。
ツアーだけじゃなく、イベントも行けるものは惜しみなく全て行った。
イベントで何度も握手をした。
写真も4度撮った。
そうして必死に追いかける中で、知らず知らずのうちにどんどん近づいていった。
まるで頑張った褒美のように、行く先々で奇跡が起きた。
「もう十分だ…」
そう思っても、また次の会場で嬉しいことが起こる。
この上のない時間だった。
幸せだった。
もう思い残すことは何もなかった。
愛知バスツアー。
モーニング娘。とクリパ!!
何度も悲しかったり、嬉しかったりで、みっともない程に泣いて顔が崩れた。
説明がし難い。
こんな時間を味わえたのは、亀井さんに出会えたから。
亀井さんが、亀井絵里として生まれ、朗らかな性格を持って育ち、モーニング娘。になってくれたから。
亀井さんを知って、追いかけきて、本当に良かった…
生きる中で、亀井さんに出会えたことは本当にラッキーだったと思う。
12月15日、横浜アリーナでのライバルサバイバル最終公演を持って、亀井さんを追いかける日々は一旦休止。
実は16日にも最大の、最高の奇跡が起きたのですが、この事は僕らの胸に秘めようとその時いた仲間と誓う。
横浜アリーナでの最終公演後は、中野サンプラザに仲間と泊りました。
ここが一番浸れる場所だから。
16日はロケ地などを巡りました。
卒業してから約一か月。
怒涛のような日々がまるで夢だったかのように、またのんびりとした生活に戻っている。
あの忙しい日々に戻れと言われたらちょっと厳しいけれど、でもやはり今は物足りなさを感じている。
俺がこんな感覚になるのだから、8年間もそんな日々を送っていた亀井さんは、もっと寂しさを感じているのではないだろうか。
今一体、どんな気持ちでいるのか、それが心配である。
薬に頼る生活をやめて、身体や心に乱れが出ていないか、心配である。
元気であってほしい。
身体を良くして、いつかまたあの笑顔が見たい。
見れると思っている。
亀井さんが頑張り過ぎない程度に、緩い感じで復帰してくれたら。
どんな形でも、また会えたらと思う。
ただただにほんざるは
待ってる。
何年先でも、何十年先でも。
8年間、ありがとう。
何度言っても足りないくらいに、感謝しています。
悩む事もたくさんあったでしょう。
身体の事も、辛かったでしょう。
それでも亀井さんは一切手抜きがなかった。
最高のパフォーマンスをいつも見せてくれた。
何も考えずぽけ~としているようで、誰よりもファンを想う気持ちが強い人だったと思う。
その真面目さがあだとなり苦しめたこともあったでしょう。
そうしてファンに捧げてくれた8年間に感謝です…
亀井さんは奇跡のような人。
たくさんの癒しと共に、たくさんの大事なことを教えてもらった。
人として、本当に尊敬しています。
本当にありがとう。
亀井さんがモーニング娘。として輝いていた日々を忘れない。
いつまでも、そのままの亀井さんでいてください。
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